コープチャイ

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 「終着駅」、どの駅よりも意味深な駅だと思われませんか。何度か寝過ごして、高尾駅まで行ってしまったことがありました。父は、その中央線にこだわっていて、中部山岳の山奥から、四人の男の子の教育を考えたのでしょうか、東京に出ようとした時に、中央線沿線で家探しをしたのです。横須賀生まれの相模国の出の父は、大森あたりの親戚から、東京の中学校に通ったので、大森や品川の横須賀線や京浜急行の沿線に、家を見つけそうでしたが、そうしなかったのです。

 山梨県や長野県から東京に出て、住もうとすると中央線沿線、茨城県だと常磐線、千葉県だと総武線、福島県や東北の諸県ですと東北本線、静岡県や神奈川県だと東海道線などの沿線を好む傾向があるのだそうです。懐かしい故郷の訛りがなつかしくて、聞いたり、匂いを嗅ぎに行ったりしたいからなのでしょうか。

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 父は、中学生生活をしたり、仕事をした品川や新宿や日本橋や浅草あたりに土地勘があったのです。それで、引っ越しを考えた時、新宿周辺に家を探したのですが、盛り場への近さを避けようとして、新宿御苑あたりの南新宿を諦めたそうです。また大田区に住もうとしましたが、だまされてしまい、けっきょく甲州街道沿いの八王子に家を見つけたのです。

 そこからいくつか三多摩の郡部に、家を住み替えて、学齢期を過ごしたのです。そこは『べえべえ!』ことば」で、『そうだんべ!』、『行くべえ!』と言う方言がありました。2019年に、中国から急遽帰国して、家内が入院したのが、栃木県だったのです。何と、ここも、『べえべえ!』だったのです。神奈川県の厚木周辺、東京の三多摩、埼玉、群馬、栃木の関東平野の周辺部の地域に、この方言が散らばっているようです。

 中部山岳の山村にも、独特の方言があり、もう喋らなくなってしまいましたが、子どもの頃に喋った記憶があります。母も、だんだん歳を重ねていくうちに、出雲弁が出てきていたのです。東京で生活している緊張の度合いが、だんだん緩んできたからでしょうか。その「お国ことば」は、柔らかくて、聞きやすいのかも知れません。

 中国のカナンの街は、この方言が、山を越えるたびに違っているのだそうです。喋れないけど、聞いているうちに分かるのだと言っていました。驚きは、公認教会では、北京語で説教をすると、華南の方言の通訳が付くのです。かつて共産化する以前の中国で、欧米の宣教師が説教をすると、二重三重の通訳者が立ったのだと聞きました。そんな風にして福音宣教が広く行われて、今では一割以上のクリスチャンがいて、なおますます増えている現状なのです。

 中央線の新宿駅から、八王子、大月、甲府、下諏訪、松本と、汽車が走っていた時代を覚えています。始発の列車に新宿駅で乗りますと、甲州弁や信州弁が聞こえてくるのです。それは、上野駅では東北弁や越後弁が聞こえ、総武線や常磐線では、茨城弁や総州弁が聞こえてたのでしょうね。北海道から転校して来た同級生が、大声で北海道弁を連呼していて、度肝を抜かされたことがありました。

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11:1 さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。

11:6 主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。

11:7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」

11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。(新改訳聖書 創世記)』

 言語の誕生と分化を、聖書はこのように記しています。今では、「通訳機」があって、外国語の学びをしないでも、意思の疎通ができるようになっているようです。ものすごく便利な時代なわけです。インドネシア語、モンゴル語、スペイン語を、私は学んだ時期がありましたが、みんなものにならずに終わってしまい、かろうじて13年いた中国のことばは、日常語は話せるようになっていましたが、今では、もうおぼつかなくなりました。

 『ナマステ!』と言う言葉を家内が覚えて帰って来たことがありました。道路で行き合ったアジア圏の方に話しかけて教えてもらったのだそうです。『ありがとう!』をそう言ったのです。去年の11月に、愛子さまがラオスを訪問された時に、『コープチャイ!』と話しているのを聞きました。表敬の思いでラオス語を学んで行かれたそうです。これも、『ありがとう!』なのだそうです。国賓待遇で大歓迎されたそうですね。相手、訪問国への敬意って素晴らしいことだと感じ入りました。

 さて、人生にも「終着駅」がありそうです。そこへの分岐線の途上を、私たちは、みんな走っているのでしょう。脅しているのではなく、どうも厳粛な時が近づいているのかも知れません。光り輝く駅への到着を願って走りたいものです。

(“ウイキペデ“のラオスのメコン川、新宿御苑、バベルの塔です)

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伯楽考

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 「伯楽」と呼ばれるのは、駄馬のようにしか見えない馬の隠れている素質を見抜く人のことを言うのでしょうか。紀元前7世紀の中国の春秋の時代、今の山東省に、孫陽と言う人がいました。この人は馬の可能性を見抜くことができたので、「伯楽」と呼ばれたそうです。

 中学と高校の同級生に、日本競馬協会の調教師の子たちがいて、みんな裕福な家庭の子でした。父は、賭け事をしませんでしたから、競馬場や競輪場などに出入りしませんでした。でも国家が公認のする公営競馬ですから、スポーツの一つと見なされていて、新聞やラジオやテレビの報道欄を賑やかしていました。

 北海道や千葉や茨城には、競走馬の厩舎や訓練の試走場があようです。レースに優勝するような馬は、引退後には、次の世代の競走馬を誕生させる種馬や母馬になったりするのだそうです。レースで優勝するのは、その多くが優秀な成績を収めた馬の子でもあったのです。そういった次世代の競争馬を生み出すための目利きをする仕事や馬丁さんや調教師さんがいて、レースが展開されていました。

 そんなことを聞かされて、戦時中には、父は馬を持っていて、街中と仕事場のあった山奥の工場の間の移動のために飼っていたのです。事務所のあった街には、陸軍の連隊があって、その連隊長の持ち馬よりも立派だったようで、譲り受けたいと言われながら、父は手離さなかったと言っていました。馬の世話をされていた方が、父に馬肉を届けたのだそうです。自分は食べた記憶はありませんが、家族で桜肉鍋をしたのでしょう。

 ところが、その肉は、父の馬を屠殺したものであったのを、父は後で知ったのです。馬丁さんのお子さんが病んで、滋養のあるものを食べさせなくてはならなくなって、父に無許可で肉にしてしまったのです。自分も人の親、このお父さんの気持ちを察するのあまり、父は愛馬の死を受け入れて、責めたり怒ったりしなかったのだと、母に聞きました。これが人の良かった父、騙すより騙される人でした。
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 馬の目利きや調教に長けている伯楽は、よくスポーツの世界で、名コーチ、名監督として名の馳せた方に、つけられるタイトルでもあります。例年の年初の二日三日、帰国以来の正月は、説教の責任もなくなったのを幸いに、箱根駅伝の虜になってしまっています。かつては、今日ほどの注目度のなかった時代でしたが、明大や早大や中大や日大、それに東京高等師範学校などが名門が優勝していたのです。私たちの時代に、大八木監督の率いる駒大、その後は順大、今では青学が優勝名門校として活躍しています。

 日本的な「駅伝」は、ストックホルムで開催されたオリンピックに出場し、さまざまな悪条件化でマラソン競技の途中で行方不明になってしまった金栗四三氏が、日本のマラソン界の底上げに始めたと言われています。肥後国の出身で、日本の陸上競技に貢献した人です。

 「青田買い」と言って、中学校や高校から、優秀なスポーツ選手に目をつけて、大学やプロの世界で活躍できるように勧誘し、集められた子どもたちに、将来を嘱望して、トレーニングをして気ています。賛否両論があって、楽しむスポーツではなく、ただ勝つための猛指導があり、それがエスカレートしているのを憂えるのですが。

 そんな、プロ化した選手の多いスポーツ界ですが、確かに、名伯楽がいて、優秀な選手を育てているのも事実です、野球でもテニスでもスケートやスキーでも、プロ化してしまっているのですが。次女の息子が、小さい頃から野球をしてきて、名門の大学チームに推薦されそうになったのです。周囲の期待と違って、しのぎを削るような世界、お金で自分が測られる世界で野球を続けたくなかった彼は、それを断って、自分の育った街の小さな学校に進学していきました。

 それでもいいのでしょう、男子でも女子でも、サッカーでも野球でも、世界で活躍している選手が、最近多くなってきています。それとは違って、自分の好きなスポーツを楽しんでしている人たちの方が、はるかに多いのです。名選手、名走者、スポーツ以外の世界でも優秀な方たちが多くいますが、楽しませてくれるのが一番、負けチームや負け選手の「一生懸命さ」に、胸が打たれた、今春の大学駅伝でもありました。

(“ウイキペディア”の伯楽、金栗四三〈ゼッケン51〉です)

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主のおいでをお待ちします

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『また、彼は私に言った。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。 不正を行う者はますます不正を行い、汚れた者はますます汚れを行いなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行い、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」 「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」(新改訳聖書 黙示録22章10~13節)』

 主の2026年、主の来臨が近づいている様に感じてなりません。それは、待ち望んでいる私たちにとっては、「救い」の完成なのです。小学生の頃に住んでいた家の風呂場でのことでした。樫の大木の間から昇ってくる月が、まっ赤に燃えている様に見えたのです。 

 母は、救い主イエスさまの「再臨」を信じる信仰者でした。それで旧約聖書の預言書から、主が来られる日に、月の色が真っ赤に変わると言っていたのを覚えていたのです。

『主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、は血に変わる。(ヨエル2章31節)』

 それを聞いていましたので、その晩がその日なのかと、何の備えもできてなかった私は、とても恐ろしくなって、じっと月を眺めていたのです。風呂から出て、母に、月の色がまっ赤になっていたことを告げたのです。母は、とても緊張していました。

 また、61歳で出掛けた、大陸の天津の街の外国人アパートの7階に住んでいた時に、部屋の陽台(ベランダ)から、信じられないほど大きく、真っ赤になった太陽が沈んでいく様子を、慄然として眺めたことがありました。月ではなかったのですが、その時、母から聞いたヨエル書の預言のことばを、恐れをもって思い出したのです。

 今でも、天変地異、自然界の異常な現象のニュースを聞きますと、主の再臨のことを思い出すのです。マタイの福音書24章の中にも、主の来られる日のことが預言されています。

『あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」(マタイ24章3節)』

との問い掛けに、イエスさまがお話になられた箇所にです。

『そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。

また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。

しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。

また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。(マタイ24章4~14節)』

 地上の戦争のうわさも、民族間の対立も、地震や飢饉の頻発などのニュースを聞きます。人心の乱れや行いについて社会現象を聞かない日はありません。

 油断せずに、また恐れずに、心して、いつおいでになられても良い様に、備えをしたいものです。厳粛な日が来ている様です。それでも、日常の義務に忠実であって、噂やニュースに踊らされずに、今日すべきことに誠実でありたいものです。元旦の朝、そんなことを思っております。そろそろ起き出して、朝食の準備をしましょう。良い日、良い一年を、感謝と喜びとでお過ごしください。

(“いらすとや”の満月です)

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