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「陸蒸気(おかじょうき)」と、わが国で呼ばれた蒸気機関車は、1814年、イギリスで、鉱山で採掘した鉱石を運ぶために、リチャード・トレビシックによって、産業革命期に発明され、工業用の資材の輸送に活用されています。1830年には、リヴァプールとマンチェスター間に、人を乗せて運ぶ「旅客鉄道」が開業されています。
人車鉄道や馬車鉄道などに替わる、新しい動力が使われて、世界は一大変化を遂げていきます。輸送の量も質も格段の差が見られ、瞬く間に世界大に開ろげられていきました。栃木県下、とくに、ここ栃木市でも、鍋山から産する石灰が、人力によって鉄路の上を運ばれる貨車があって、私たちの住むそばを通っていたのだそうです。
日本では、明治5年(1872年)に、お雇い外国人の指導を得て、明治維新政府の肝入りで、新橋と横浜(桜木町)間で、この蒸気機関車が、明治天皇を乗せて走って、華々しく開業しているそうです。これに端を発して、瞬く間に日本全土に鉄道網が増え広げられていきます。
作詞が、大和田建樹、作曲が多梅稚の「鉄道唱歌」が、機関車が牽引する列車が、日本全国の町々を結んでいく様子を唄っていくのです。
汽笛一声新橋を
はや我汽車は離れたり
愛宕(あたご)の山に入りのこる
月を旅路の友として
右は高輪泉岳寺
四十七士の墓どころ
雪は消えても消えのこる
名は千載(せんざい)の後までも
窓より近く品c川の
台場も見えて波白く
海のあなたにうすがすむ
山は上総(かずさ)か房州か
鶴見神奈川あとにして
ゆけば横浜ステーション
湊を見れば百舟(ももふね)の
煙は空をこがす
この日本国有鉄道の勢いは、大陸中国でも、旧満州の大連と奉天(現在の瀋陽です)間で、撫順の石炭の輸送のために、南満州鉄道が敷かれていきます。その鉄路の上を、当時、世界最速と言われた「ハシナ号」と呼ばれた蒸気機関車が牽引した「亜細亜号」は、満鉄の誇った、日本の中国大陸進出と支配の大動脈となったのです。
そのように大陸支配を続けましたが、戦争に負けて、一切のものを残して日本は、大陸から引き揚げることになったのです。王道楽土の夢は潰(つい)えてしまいました。当時の若者が夢を求めたのでしょうか、私の父親も、若い時に玄界灘を越え、外海を渡って、満州の地で過ごしています。
敗戦のつらい経験を通った日本は、戦争の終わった後、平和憲法をいただいて、平和産業に従って、復興していきます。その際たるものが、1964年に開催された「東京オリンピック」の年に、それに併せて開業された、「東海道新幹線」でした。夢の超特急は、敗戦から立ち上がった標(しるし)のような思いを担って、東京と大阪を結んだのです。
「禊ぎ(みそぎ)」と言う言葉があります。過去の罪や穢(けが)れを洗い清めるための神道(しんとう)の行事で、白装束で水ごりをとることを言っています。新幹線の車両を設計したのは、三木忠直さんでした。戦時中、「桜花」と言う戦闘機を設計した人で、多くの若者が、それに搭乗してアメリカの軍艦に体当たりをさせたことへの悔いの思い、禊の思いを込め、平和利用の化身のように、新幹線の車両を設計したのだそうです。
自分は、61才で責任を負っていた教会を退職し、隣国の学校で日本語を教える機会を得たのです。出掛けて行って出会った方の推薦で、『日本語を教えて欲しいのですが!』と、言われてでした。そこで、またとない機会を頂いたのです。日本語の文化・政治・経済の講座と、作文指導を担当させて頂きました。日本人を「日本鬼子ribenguizi」と蔑(さげす)んだ反日教育を受けてきた中国の若い人に、侵略の過去をお詫びして、教壇に私は立たせていただきました。そして日本が開発し、その技術を導入して始まった中国新幹線の背景にある、日本新幹線の車両の設立者の戦後の思いを伝えたくて、三木忠直さんを、みなさんに紹介したのです。
父も戦時中、戦闘機の防弾ガラスの原料の石英採掘の国策事業に携わって、侵略の一端を担った過去がありました。父が軍からの俸給で、ミルクを買い、産着を着せられて育てられた私の思いに、中国の町々に爆撃機が爆弾を投下して、夥しい数のみなさんを死なせ、街を破壊したことへのお詫びの思いが、強く若い頃からありました。それで、いつかそれを実現しようと思っていたのです。それが、まさに叶ったわけです。
学生さんたちは、『你没有責任nimeiyouzeren(先生には責任がありませんから、ご自分を責めないでください!)』、と言ってくれました。でも自責の念が私には強かったのです。その教えの学生さんたちからの反響は、かなり大きかったと思います。それは、大学のクリスチャンの先生方の秘密裡に行われた聖会でもお詫びしたことでもありました。
そんなことをさせて頂いた大陸の13年を、今朝、思い出しています。春になって、芭蕉のように「漂白の思い」が、フツフツと湧き上がってまいります。ポッポーと汽車に乗って、と言っても汽車ではなく電車でしょうか、県北においでの同世代、同業の知人を訪ねたいとの思いが長く温められています。また、子どもたちの住む街も訪ねたいな、と思う、人や虫や電車でさえも動き出す「蠢動(しゅんどう)の季節」になったようです。
(“ウイキペディア”による車両の写真です)
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