過去が変えられる秘訣が

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 イギリスでもドイツでも、欧州リーグで、女子サッカーが大人気のようです。ことに157cm、47kgの長谷川唯選手は、マンチェスター・シティ・ウィメンズ・フットボールクラブManchester City Women’s Football Club)のMFでチームの中心の動きを担っているのです。もう二十代後半で、驚くのは、黄色や赤色のカードのペナルティーがないことです。

 このサッカーに「PK」とか「GK」があるのをご存知と思います。サッカーのペナル・ティーキックやゴール・キックのことではありません。「パスターズ・キッヅ」の略で、「牧師の子」と言う意味で、「PK」があります。また「宣教師の子」のことを、「MK(ミッショナリーズ・キッヅ)」とも言うのです。

 これらの呼称は、教会用語の隠れた一部で、時には皮肉や軽蔑や非難を込めた言い回しで用いられることもあるようです。牧師さんや宣教師さんは、教会で高い所から説教をするけど、『家庭での子育てでは失敗者だ!』と言う酷評が込められているのです。でも、多くは、そのままでは終わらないのです。

 アメリカ大陸の太平洋沿岸部の大きな街の牧師に、3人の息子がいました。その十代だった長男は、その街の札付きの悪だったのです。自動車は盗むし、ありとあらゆる悪をしていて、警察に捕まえられては留置されることを繰り返していたそうです。地元の警察からは、厳重な監視をされていた少年だったのです。

 「ウエストサイド物語」は、ニューヨークのポーランド系とプエリトリコ系の非行少年の両グループの抗争の物語を、ミュージカル風に映画化したのですが、アメリカの社会問題を取り扱ったものでした。十代の少年たちの非行は、西海岸にもあったのです。東京にも大阪にも、そんなことがあったお話をよく聞いたことがあります。

 ところが、太平洋戦争に従軍して、帰還してから、彼は、急激な心の変化を見せて、悔い改めて、信仰が恢復されたのです。幼い日には、可愛い教会の子でしたが、心に植え付けられた良い芽は、温存されていて、この若者を恢復させたのです。.

 牧師の子は、自動的にクリスチャンにはならないのです。この方は、死線を超えて、生死の危機の中で、さまざまな心の葛藤を経て、主のみ前に謙らされた時、札付きのヤンチャさは消えてなくなり、元の鞘(さや)に収まったのです。

 最善な恢復の業がなされるのです。そして彼は宣教師となって日本に来ました。「選び」とか「予定」を信じない人は、そんな十代を生きた者を、宣教師に選ばれる神に、轟々の非難をぶつけて、躓いてしまうことでしょうか。それとも、神の恵みや憐れみの驚くべき深さを認めることでしょうか。どうも「放蕩息子の物語」は聖書の中にあるだけではなさそうです。

 ご家族にも、そして私たちにも、十代の所業の影一つ見せなかった謙遜さに溢れていたのが、この方でした。柔和そのもので、長年付き添った奥さまも、もちろんお子さんたちも全く気づかなかったほどだったのです。そんな宣教師さんは、私たち家族を招いてくださって、祝福の交わりをさせて頂いたのは、二度や三度だけではありませんでした。お宅のテーブルを囲んで、食事をしたり、交わりの中で、至福の時を過ごさせて頂いたのです。

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 この方が、天のふるさとに帰られ、アメリカに亡骸が軍の飛行機で戻って、母教会で、改めて葬儀が行われたのです。その時に、一緒に十代の時を過ごした弟さんが、この方の過去を、そう語られたのそうです。熱心な宣教師やよい夫を、彼が演じたのではないのです。すっかり変えられたわけです。この方に5人のお子さんがいます。異口同音、『素晴らしいパパだった!』とお父さんを懐かしんで言うのです。

 みなさん、牧師になったり、教会の中心的なメンバーとなっておいです。素晴らしいことであります。あんなに柔和だったけど、『パパは、とてもいたずら好きだったのです!』と、ご子息が言っておられました。

 人は変えられるのです。神さまに、変えられない人はいません。それが、神さまのお仕事だからです。どんな過去があってもいいのです。虐待されてもレイプされても、指を詰めても刺青をしても、警察に目を付けられでも、どんな過去があっても、イエスさまは、すべてを赦し、傷跡でさえも消して、快復させてくださるのです。

『・・ご自分の血によって民を聖なるものとするために(新改訳聖書 ヘブル13:12)』

  イエスさまは十字架で血を流してくださったのです。どうしようもないほどの汚れた私たちを、「聖なるものとするために」でした。感謝なことです。さあ、すべてのPKもMKも、そしてだれでもが、「GK」になることが出来るのです。「GK」って、ゴール・キーパーのことでは、もちろん違っていて、「ガッズ・キッズ(神の子)」のことです。

 人が救われるのは、ただ恵みによるからです。ただ赦され、恢復された人に残るのは、感謝なのです。救いの喜びです。栄光化への望みです。なんと驚くべき恵みではないでしょうか!

(“いらすとや”のGK、ミモザです)

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