『また、彼は私に言った。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。 不正を行う者はますます不正を行い、汚れた者はますます汚れを行いなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行い、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」 「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」(新改訳聖書 黙示録22章10~13節)』
主の2026年、主の来臨が近づいている様に感じてなりません。それは、待ち望んでいる私たちにとっては、「救い」の完成なのです。小学生の頃に住んでいた家の風呂場でのことでした。樫の大木の間から昇ってくる月が、まっ赤に燃えている様に見えたのです。
母は、救い主イエスさまの「再臨」を信じる信仰者でした。それで旧約聖書の預言書から、主が来られる日に、月の色が真っ赤に変わると言っていたのを覚えていたのです。
『主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。(ヨエル2章31節)』
それを聞いていましたので、その晩がその日なのかと、何の備えもできてなかった私は、とても恐ろしくなって、じっと月を眺めていたのです。風呂から出て、母に、月の色がまっ赤になっていたことを告げたのです。母は、とても緊張していました。
また、61歳で出掛けた、大陸の天津の街の外国人アパートの7階に住んでいた時に、部屋の陽台(ベランダ)から、信じられないほど大きく、真っ赤になった太陽が沈んでいく様子を、慄然として眺めたことがありました。月ではなかったのですが、その時、母から聞いたヨエル書の預言のことばを、恐れをもって思い出したのです。
今でも、天変地異、自然界の異常な現象のニュースを聞きますと、主の再臨のことを思い出すのです。マタイの福音書24章の中にも、主の来られる日のことが預言されています。
『あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」(マタイ24章3節)』
との問い掛けに、イエスさまがお話になられた箇所にです。
『そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。(マタイ24章4~14節)』
地上の戦争のうわさも、民族間の対立も、地震や飢饉の頻発などのニュースを聞きます。人心の乱れや行いについて社会現象を聞かない日はありません。
油断せずに、また恐れずに、心して、いつおいでになられても良い様に、備えをしたいものです。厳粛な日が来ている様です。それでも、日常の義務に忠実であって、噂やニュースに踊らされずに、今日すべきことに誠実でありたいものです。元旦の朝、そんなことを思っております。そろそろ起き出して、朝食の準備をしましょう。良い日、良い一年を、感謝と喜びとでお過ごしください。
(“いらすとや”の満月です)
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