冬至の時季ならぬトマトが

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 昨日は「冬至」」、先細っていた太陽、その光量や光線が復活してくると言って、古代人は、それを祝ったのでしょうか。寒いまま凍結せずに、日一日暖かくなる希望が舞い戻ってきたわけです。実際は,これからが酷寒の日々なのですが、祝わざるを得ない思いが膨らんでくるのでしょう。

 黄河中流に住む農民たちだけではなく、地球上の北半球の村に、wその希望が湧き上がったのです。長く住んだ中部山岳に峰々を見上げる街で、お子さんを亡くして焦燥としていたお母さんと出会って、遠い村を訪ねたことがありました。ご主人は、私たちの住む街に、週日は働きに出てきておいででした。村は,柚子の産地でしたから、バケツいっぱいの柚子を、毎年この時季になると、持ってきてくださったのです。

 料理に柚子を使ったり、柚子風呂に入れたり、近所の方にお裾分けしたのです。この街に私に散歩道にも、庭にタワワに黄色く実った柚子を見ることができます。それが冬の風物詩なのでしょう。ビタミンなど、発見されていない大昔から、柚子は重宝された木の実だったに違いありません。


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 季節や土地や風土に応じて、見られる植生には驚かされます。人が健康で生活できるように、創造の神さまは、果物や野菜を備えられたのです。なぜか、ベランダに咲き終わった花の鉢に、トマトがおい出でてきて、三つほど実っているのです。季節外れなのに、日々に大きくなっているではありませんか。青かったのが、少し黄色味をつけてきているのです。

 さすがに葉は、枯れ始めているように見えても、すっくと葉を広げているのです。実が落ちないかなと危ぶむのですが、しっかり枝を掴まえて、枝が離さないで三つが留まっているのです。今年の冬の陽の光は、意外なほどに、例年になく強いのに驚かされています。今朝は、空気は冷たく、気温はマイナス2℃でしたが、陽の光を受けて元気なのです。

 毎朝の日課は、カーテンを開けて、窓越しに、トマトの様子を観察することで始まっています。「年越しトマト」になるでしょうか。もう1週間ほどで、2026年になります。孫たちは溌剌の青春真っ盛り、日本組もアメリカ組も、学びも教会での奉仕も、アルバイトにも励んでいるようです。それに引き換え、ジイジとバアバは、病院通いが多くなりました。目薬をもらいに、定期診察に、持病の診察に、術後の経過観察に、それでも年相応の感謝の今なのです。兄たちも弟も、同じような今を過ごしているようです。

(“いらすとや”の柚子です)

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