2025年も暮れて行きます。みんな護られ、大禍なく過ごせた一年に、感謝ばかりです。昨日も、ご家族で、隣国の友人が訪ねてくださいました。新規事業を、北海道で来春には始めようと準備中です。
東シナ海の海添いの村で育ち、若い日に上海で仕事をし、修行をし、故郷に帰って来て、お店を構えられた、根っからの日本贔屓です。ご両親の信仰を受け継いで、ご自分の事業のキャッチにも、それを反映さておいでなのです。
お父様を亡くされた後、故郷からお母さまをお呼びして、ずっとお世話をされておいででした。闘病中に私たちと出会って、工場の会議室で、長く聖書の学びをしました。まさに治外法権でしょうか、管理外での集いが続けられたのです。
病むお母さまを、家内がお宅に週一ほどで訪ねて、良い交わりがもたれました。お母さまは、ご長女の息子さんのお世話も、長くなさっておいででした。亡くなられた後、故郷の村の家で、お母さまの葬儀が行われて出席しました。
かつて生活をした村内を、葬列が巡るのです。通った学校やお店や施設など懐かしさを味合う様にしてでした。田舎の風習なのでしょうか。賛美の鼓笛隊に先導されてでです。キラキラと火を受けた東シナ海を見下ろす丘に、お父さまの墓があって、そこに埋葬されました。
大きな墓で、私たちのためにも、余地があるほどで、同葬のお誘いの話までされていたのです。そんなことのあった彼の故郷でした。お父さまは、村のための防波堤を建設なさった功績があったそうです。
事業を弟さんと共同でなさっておいでで、新しい展開を、慎重に模索中でおいでです。主に祝福があるのです。私たちの大きな助けでもあります。年に二度ほど、私たちの家を訪ねてくれるのです。年の瀬の昨日も、父の様に慕ってくれる彼とご夫人、息子さんとお嬢さんと、一緒の良い交わりの時が持てました。
そんな、新規事業の祝福の祈りの要請があって、今日は大晦日です。雪解けを期して、新春を迎えるのでしょう。素晴らしい新年をお迎えください。
(“いらすとや”の海です)
.

