会社員には「平(ひら)」、商人には「丁稚(でっち)」、相撲には「序の口」、落語には「前座(ぜんざ)」という、初めの立ち位置、立場があります。みなさんが「半人前」の初歩から始まりで、「一人前」の係長、番頭、関取、三枚目に、そして「頭」の取締役、大番頭、横綱、真打ちとなっていくのです。
学校の教師や、教会の牧師は、多くの場合、はなっ(端)から「一人前」になってしまいますので、初めから「親方」扱いになるのです。もちろん担任や主任にはなりませんし、補教師の立場の場合もありますが、新人も40年のキャリアもない世界であって、新入のまま一国の主(あるじ)の座に着く場合がほとんどです。まだ未熟なのに、背伸びをしなければならず、一年でも半年でも先に、就職していると、どうも先輩風を吹かせているケースが往々にしてあるようです。
立場があって、聞くに聞けないので、進歩や変化がないまま年をとってしまって、世間に通用しなくなってしまい、お山の大将化してしまって、融通も応用も効かない人になって終わります。プライドが高くて世の中でなかなか通用しないのです。
三年間、研究所勤務の後に就職した学校で、同年代卒の同僚が、先輩風を吹かしていました。有名大学卒業と、このかたの学んだその大学の学科長や研究所長をされた方の推薦で転職してきた私の間に壁を置きたかったようです。私を、「ナカニシ君」と呼んで、呼び続けたのです。また、この教員間の「先生呼称」ほど、教員同士の自己肯定の強さを含んだ呼称はありません。生徒や学生からは、自分たちが先生であるのはよいですが、教師同士は、どうも胡散臭くて仕方がありませんでした。
キリスト教系の学校では、Misterで、教師も学生も呼び合う習慣があっのだそうで、立場の高低はなく、horizontal(水平)の関係が保たれていて、互いが尊敬し合っていたのです。双方が、さん付けで呼び合っても、何の軋轢もありませんでした。敬意が互いの間にあったからです。
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NHKに入局して、アナウンサーとして活躍し、後に引き抜かれて、45歳で、TBCの名キャスターや司会者をした森本毅郎さんが、ご自分の職場での歩みや経験、出会いや思い出を語っておられます。
アナウンサー、今ではキャスターと呼ぶようですが。10年経った時に、彼は、自分の仕事に対する、足りなさや未熟さを覚えたのだそうです。そのまま突っ走ることもできた十年選手でした。それは「壁」で、面壁九年には一年多い年数でしたが、彼は、その壁を越えるために、先輩アナウンサーに助言を求めたのです。どう自分の壁を超えていくかの知恵を求めたわけです。
ニュース・アナウンスから、新企画のp「新日本機構」という番組のナレーターで、原稿を読むことになったのだそうです。その第一回目を担当した後でした。どうもう上手くいかなくて落ち込んだのです。その時、ディレクターから、未熟さや欠点を指摘されてしまいました。それでも、ギャフンとしないで、経験豊かな先輩に、聞いたのだそうです。はじめは何人もの方に、方法論、テクニックを聞いたりしたのですが、それよりも、ある方から「メモ」をもらって、それが実に大きな助けになったと言っておられました。
後輩の森本氏の放送を聞いて、一人のマチュアーなアナウンサー歴の長い方が、〈気付きのメモ〉をとっておられたのです。けっこう踏み込んでくる彼を相手に、やっと机の引き出しに中に入れていたメモを取り出して、手渡したのです。そのメモには、『あの場合、こう読んだ方が自然ではないだろうか、私だったらこういう時は、こんなふうに読む。』とあって、具体例が書かれていたそうです。
以降のナレーションに、その助言が大きな助けになるのです。教えたのではなく、率直に感じたことのメモでした。そういった助言をする、絵多く経験を積んだ方が、なおも、ご自分で研鑽しようとしてのメモだっのです。その謙虚さが、この名アナウンサーの秘訣だったわけです。それを読ませて頂いて、得心した森本氏は、85才の今も、なお現役で、ご自分のラジオ番組を持って活躍しているのです。驚きですね。
どうも高いところから、話すことが主要な仕事の立ち位置で、教員や。伝道者として、私も生きていました。それで子どもたちを養い、愛兄姉とともに、ほとんどの生涯を、礼拝を守り続けてきたのです。説教での声が大き過ぎる、ダミ声調だ、ジョークや冗談は要らないと、私を具体的に導いてくださった宣教師さんは、よく注意してくれました。自分でも、試行錯誤しながら、好きな説教者を遠くに訪ね、噺家の噺を聞いて「間」を身につけ、スポルジョンやロン・メルや竹森満佐一や山室軍平の著書を読んで学びました。
教師を二度した年月も、百科事典や図書館から借り出した関連書籍を読み、教師用参考書に頼らずに、一授業40分ほどの教案を、放課後と家に帰って毎日作りました。60才を過ぎてから再び、お隣の国でも、そうして作成した教案で話しますと、他学科の何人かの学生が、『先生の授業に出ていいですか?』と言って、やって来たのです。真似ではなく、心や姿勢や品性を読んで、それで教壇にも講壇に立ちました。あの日々が懐かしいのです。
どなたも、前座の未熟さを超えて、自分のものを作り上げるのでしょうか。でも、教師も説教者も、いきなり表舞台に立つので、どうしても独りよがりになるのです。そして助言者を持たずに、独走してしまう傾向にあるようで、社会性に欠けてしまいます。でも謙虚なら、誰からでも何からでも学べます。名人も、一日にしては成らず、一歩一歩でローマに至るのでしょう。叱責者や助言者やmentorがいましたから、大きな助けになりました。それでも、まだまだon the way の自分なのです。
そう言えば、母教会には、説教者のための高い壇がありませんでした。聞かれるみなさんと同じ床の上に立たれて、聖書からお話をしておいででした。中学の担任の先生は、朝礼でも授業でも終礼でも、教団から降りて挨拶をしておいででした。私は、そう言った教会で救われ、そう言った担任から教えを受けたのです。
それが学んで、習慣化した生き方でした。イエスさまも、民衆と同じ高さに立ち、座し、眠られました。それが私の居場所でもありました。そこが僕として生きる立ち位置だと学んだからです。ただに赦された罪人に過ぎないのですから、師に倣うは当然であります。
(“いらすとや”のイラストです)
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