用心用心さらに用心を

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    1995年1月17日に朝方6時前に、阪神淡路大震災が起こってから、満31年が経ちました。長女と一緒に、川崎に住んでいた方の弟さんが、震災にあわれて、祈りの要請が娘からありました。最初の揺れで住んでいた家が倒壊して、帰らぬ人となってしまいました。大学の四年生で、就職先も決まっていて、将来が楽しみな方でした。

 震災からの復興支援のために、長男と次男が奉仕で出掛けました。次男は、中学校を休んで、宣教師さんたちと一緒に奉仕し、帰って来て、学校で報告会をしたのです。次男にとっても、実によい体験だったようです。ところが、長男は、学校を卒業して、家にいた時期だったでしょうか。別のルートで奉仕活動に加わったのです。

 NHKのテレビに出演していた、ボランティア団体「アガペ」の代表者に、長男は連絡をとったのです。神戸の神学校に事務所を開いての奉仕をされていて、そこの神学生たちのグループに奉仕を推薦されて、加わったそうです。京都の教会が責任教会でした。ちょうどその時、団体の牧師会が行われていたのです。

 私たちの教会では、「酒に酔ってはいけない」という聖書のことばで、それを基準に、飲酒の習慣がなく、私自身、救いを受けてクリスチャンとなった時から、酒をやめていましたので、子どもたちが育った家には、晩酌の習慣も酒樽もなかったのです。この酒ですが,『酔わなければ飲んでもいいのでは!』と言う解釈をして、とても曖昧で,酔い潰れるまで飲んでしまって、酒の誘惑に、多くの人たちが勝てていないのです。

 また、『神が、人に備えられた物だから,感謝していただくのはよいことです!』と言って、感謝し過ぎて泥酔し、乱行に堕ちる人も多くおいでです。どうしてお酒の話を持ち出したのかと言いますと、その京都の教会で、しかも伝統ある教派、教会の牧師会がはねた後に、「酒盛り」が始まったのを、息子が目撃してしまったのです。私たちの交わりの諸教会の牧師や宣教師さんたちも、兄弟姉妹も、酒を飲む習慣がありませんで、そう言った話は聞いたことがなく、子どもたちが育ちましたから,異世界の出来事、聖書に反することのように見えたわけです。

 つまり、「躓いた」のです。飲酒が罪だとは言いません。ヨーロッパの地では、水が飲用に不向きなので、度数の軽いアルコール飲料を、普段の生活で飲んでいますから、罪ではないのは確かです。ただ、酔いたくて飲むことは、信仰者としてどうでしょうか。主の前で各人で決めることですが、これまでの飲酒経験の酷さと最初の職場の酔っぱらい行状を目撃した自分としては、酒に酔うことはいけないと判断しています。

 ただ、果実酒を飲むことはしました。アルコール度数は、焼酎を用いて、氷砂糖を入れることがほとんどですから,舌に滑らかなのです。それでたくさん飲む誘惑に落ちてしまいますので、注意注意です。疲れ切って、眠れない時に、葡萄酒を飲むことがありましたが、今は、果実酒は飲みません。あの飲酒時代に揺れ戻されたらいけないから、《御霊に酔う》のが一番なのです。

 けっこう、聖餐に葡萄酒を用いる教会では、地下に葡萄酒の貯蔵所を持っていて、そこに降りていって、隠れてチビリチビリやる習慣を身につけてしまって、依存症になっている教役者が多くいるのだと聞いたことがあります。真っ赤な顔をした牧師さんと、道の上で出会ってしまったこともありました。ずいぶん恥じて、目を逸らしていました。

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 さて息子は、知り合いの宣教師さんの息子さんたちのチームに合流して、被災地の必要に届いたのです。賢明な変更だったわけです。この方なら、まだ若い息子を任せられて感謝でした。彼のお父さんは、北欧系のアメリカの教会の牧師家庭に育っていて、“ Puritanism ”の精神の保持者で、彼も彼の友人の宣教師さんたちも同じで、彼らの養われたので、私たちも、その流れなのでしょうか。堅物ではなく、一緒にソフトクリームをなめ、テニスに興じたこともありました。

 私が決めてきた聖書的な基準は、パウロが、胃が弱く病気がちのテモテに、「少量の葡萄酒を用いなさい(1テモテ5章23節)」と勧めた聖書のことばなのです。料理によりますが、肉料理には、少し使ったら美味しさが増すのかも知れません。でも用心用心、聖霊の宮を、主の御心を求め、清く保とうと、私も決心し続けてきております。

(“いらすとや”の地震、”Christian clip arts“のペンテコステです)

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