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『人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。(新改訳聖書マタイ6章1〜4節)』
もう何年前になるでしょうか、1971年頃だったでしょうか、山陽線の姫路駅で乗り換えて播但線で、生野駅で下車し、近くの宿舎を会場に、夏季聖会がもたれました。それまで関西方面に行くことは、母の故郷の出雲に行っただけでしたが、その生野で4日ほど過ごしたのです。もう60年も前のことになります。この生野は、平安期に始まった、銀の採掘がで有名で、江戸期には、徳川幕府の有数の財源でした。銀鉱脈が尽きると、錫や銅の採掘が行われた、佐渡や石見に並ぶ有名な鉱山町でした。
この町の出身で、一人の映画俳優の話を最近聞きました。自分の父親よりも少し年配の方で、映画産業の隆盛の頃に、名優として活躍されて、主に脇役として、主役を盛り上げ支えた稀代の映画スターだったのです。その名が、志村喬でした。1905年(明治38年).に、この生野で生まれておいでです。お父さんは、その生野で働いた鉱山技師だったそうです。だからでしょうか、燻し銀のような演技をされて、大向こうを唸(うな)らせ、若かった自分も唸った一人でした。
東宝の二十周年記念映画「生きる」で主役を、この志村喬が演じたのです。それは名作映画の一つとして有名で、主人公は、何と30年もの間、無欠勤で、その生真面目さのゆえでしょうか、抜擢されて市民課長となっていた渡辺勘治でした。来る日も来る日も、山積みにされた書類に、判を押し続ける公務員の姿を演じ、無気力で、惰性で、バカ丁寧に職務を行う初老の男を、志村は演じていました。
勤務先の用があって有楽町にあった旧東京都庁に、二十代の初めだった自分は 行ったことがありました。その時に、待たされている間に、そんな映画に似た、判を押したような光景を、事務所で見た覚えがあるのです。市役所で、課長になれる平均的な年齢は、50歳前後ほどなんだそうです。渡辺は、市役所で30年間、よく揶揄される言い方で、「怠けず・休まず・働かず」と言われる地方公務員役を演じ、それは志村47歳の時 の出演でした。老け役を演じ切ったのです。
ある日、市民から、「小公園建設に関する陳情書」がありました。渡辺課長が、その案件を担当することになるのです。市民の苦情処理に、日夜煩わされていた彼は、医者からガンの宣告を受けていた身でした。きっと、生涯最後のご奉公と思ったのでしょうか、街角の公園を建設する仕事に専念、市民のために、そして自分の最後の奉公に奔走します。
♭ いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
朱(あか)き唇、褪(あ)せぬ間(ま)に、
熱き血液(ちしほ)の冷えぬ間(ま)に
明日(あす)の月日(つきひ)のないものを。
いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
いざ手を取りて彼(か)の舟に、
いざ燃ゆる頬(ほ)を君が頬(ほ)に
こゝには誰(た)れも來(こ)ぬものを。
いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
波にたゞよひ波の様(よ)に、
君が柔手(やはて)を我が肩に
こゝには人目ないものを。
いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
黒髪の色褪(あ)せぬ間(ま)に、
心のほのほ消えぬ間(ま)に
今日(けふ)はふたゝび來(こ)ぬものを。♯
(作詞が吉井勇、作曲が中山晋平です)
映画の最後の場面でしょうか、渡辺課長が、この「ゴンドラの唄」を口ずさみながら、公園に設置したブランコをこぐのです。公園の完成を喜び、笑みを交えながら、幼児になったように静かに唄う、生涯最後の仕事を成し終えた、初老の男の満足そうにする姿は圧巻でした。この映画の一場面を思い出しながら、近所のうずま公園のブランコを何度こいだことでしょうか。
この男を演じた志村喬は、質素に生きた人だったそうです。想像を絶するほどのお金を得られた名優でしたが、あばら家に住んで、一切の贅沢を避けて、生涯を終えたのです。彼には隠された生活があって、その収益をどのように使ったかは、奥さまだけはご存知でした。聖書的な見方をすると、右の手で志村喬が成したことは、左手にも知らせないように、生涯を終えたのです。ただ没後50年が経ったら、明らかにするように遺言して、76歳で召されました。まさに、クリスチャンたちを恥ずかしく思わせるように生きた人だったのです。
イエスさまは、この記事の冒頭に引用した、「山上の説教」で語られたもので、偽善者とならないための「私」の生き方、在り方にふれています。「隠れた善行」の勧めと言うべきかも知れません。人は、自慢したり、誇ったりしたいのですが、それを、神の国に生きる人はしないようにと、イエスさまはおっしゃっているのでしょう。真に誇り高く、神と人のために生きる勧めです。
人の善行も、愚行も、父なる神さまは隠れた所で、そっと見ておられるお方だと言っています。隠れた生活の中で、善行に励み公明正大に生きることです。また、隠れた生活の中に、愚行がないように、白日のもとに、注意深く生きることの勧めなのです。神と人の前で恥じないで、誇らないで生きたら、どんなに素晴らしいでしょうか。志村喬は、周りの人々に、その高潔な生き方を認められた人だったのです。彼の演技を導いた映画監督の黒澤明は、志村喬の高潔な人格、高い品性を賞賛しています。
(“ウイキペディア”の「生きる」の一場面、生野の街の風景です)
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