二様の燃える火に

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 ずいぶん冬場にしたのが、焚き火でした。落ち葉や枯れ落ちた小枝を集めて焚き火をし、燃え終わった灰や小枝の燃えかすの中に、濡らした新聞紙にくるんだサツマイモを入れて、焼き芋にしたのです。焼き上がるまで大人が火の番をしながら、みんなでゲームをしたのです。その間に焼き上がった焼き芋を、美味しく食べるのが、みんな好きでした。そう教会学校のハイキングで、よく山の中でやったのです。

 今時だったら、山火事になってしまう危険性があって、許されないのでしょうけど、まだ、そんなことができた時代でした。火を作る前に、大きなバケツに何杯も水を入れて、燃やす火の脇に、消火のために置いておくのが常でした。

 新聞紙をむいて、燃えかすの中から出てきた焼き芋を子どもたちに渡して、食べ始めると、みんなニコニコして、食べ急いでいたでしょうか。自然がイッパイにあふれる中で、加工して砂糖ばかりの甘いお菓子ではない、自然食のサツマイモを食べるのは、大喜びでした。いつ頃からか、バーベQが流行り出して、肉を食べることが多くなって来ましたが、祖父母の時代からの、冬場のおやつの定番の味は、子どもたちに覚えさせたかった味覚の一つだったのです。

 今住んでいます家の南の方に、渡瀬遊水池があって、毎年、芦焼きが行われ、その煙がたなびくならいいのですが、押し寄せてきて、煙だけでは無く、燃えかすが飛んでくることもあるのは、遊水池の保全にpのために違いありません。でも北側に住む者には困ったものです。今年も、3月の初めに行われるとの知らせがありました。

 作詞が巽聖歌、作曲が渡辺茂に「たきび」です。

1 かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
きたかぜぴいぷう ふいている

2 さざんか さざんか さいたみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
しもやけ おててが もうかゆい

3 こがらし こがらし さむいみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
そうだん しながら あるいてく

 大人たちの間で、焚き火倶楽部があるのだそうですね。焚き火愛好家たちのサークルで、互いに情報交換をしているのでしょう。もう40年もしていませんが、メラメラと燃え上がる炎は、いのちの躍動を感じるのですが、この火には別の意味もあるようです。

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 ゴスペル歌手の岩淵まことさんの作詞作曲の賛美に、「父の涙」があります。この方をお招きして特別集会をもったことや、国会で行われていた朝祷会のゲストに、この方が招かれて、  この歌を賛美してくださったこともありました。

1.心にせまる父の悲しみ
愛するひとり子を十字架につけた
人の罪は燃える火のよう
愛を知らずに今日も過ぎていく

十字架からあふれ流れる泉 それは父の涙
十字架からあふれ流れる泉 それはイエスの愛

2.父が静かに見つめていたのは
愛するひとり子の傷ついた姿
人の罪をその身に背負い
父よ彼等を許して欲しいと

十字架からあふれ流れる泉 それは父の涙
十字架からあふれ流れる泉 それはイエスの愛

 この賛美には、最愛のお嬢さんをご病気で亡くされて悲しみの中で、御子を十字架に死なせた父の神の悲しみに合わせて、娘を、ガンの病で亡くした父として、 岩淵さんが作詞作曲されたものであったと聞いたことがあります。罪なき清いイエスさまが、信じる者たちの罪を、その身に負われて、罪となられて、身代わりの死を遂げられた、最愛の御子を失った神さまの悲しみは、どれほどか想像もできません。

 人の罪が、燃える火のようだと言いますが、今季は、太平洋側は雨が少なく乾燥していて、山火事がちらこちらで発生して、収まらないでいるとニュースが伝えていました。まさに焼き尽くす火は、人の罪のようだと歌われている、この賛美を思い出したのです。まさにその通りで、一度罪に身も心も任せてしまうと、燎原の火のように燃え広がって、消しようがなくなってしまうのです。

 そんな罪深い私たちをを救うために、神の怒りの火の中に、イエスさまは飛び込んでくださったのです。また、聖霊は火の炎ように、五旬節の日に、弟子たちの上にくだられ、聖霊のバプテスマを受け、その圧倒的な力をいただいて、教会が誕生していきました。(使徒行伝2章)。人を罪から救い贖うためでした。これを、火のバプテスマと言うのでしょうか。今も世界中の教会の中に、聖霊なる神さまは臨んでおられるのです。

(“ある信徒”のチャットから、“いらすとや“の焚き火です) 

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