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第95代の花園天皇(1297年8月14日〜1348年12月2日)が書き残した「誡太子書」に、次のように遺されてあります。原文は、漢文書ですが、口語文を引用します。
「誡太子書」
余聞く、天蒸民を生じ、之(これ)が君を樹(たて)て司牧すと。人物を利する所以(ゆゑん)なり。下民の暗愚、之を導くに仁義を以ってし、凡俗の無知、之を馭(ぎょ)するに政術を以ってす。苟(いやし)くも其の才無くんば、則ち其の位に処(を)るべからず。人臣の一官之を失ふも、猶ほ之を天事を乱ると謂ふ。鬼瞰遁(のがるる無し、何ぞ況いはんや君子の大宝をや。慎まざるからず、懼おそれざるべからざる者か。而して太子は宮人の手に長じて、未だ民の急を知らず。常に綺羅の服飾を衣きて、織紡の労役を思ふ無し。鎮とこしなへに稲粱の珍膳に飽きて、未だ稼穡の艱難を弁ぜず。国に於て曽かつて尺寸の功無く、民に於て豈あに毫釐の恵有らんや。只ただ先皇の余烈と謂ふを以って、猥みだりに万機の重任を期せんと欲す。徳無くして謬って王侯の上に託し、功無くして苟も庶民の間に莅のぞむ。豈に自ら慙はぢざらんや。又其の詩書礼楽、俗を御ぎょするの道、四術の内、何を以って之を得たる。請ふ太子自ら省みよ。若もし温柔敦厚の教をして、性に体し、疏通知遠の道をして意に達せしむれば則ち善きかな。然りと雖も猶ほ足らざる有るを恐る。況んや未だ此の道徳を備へずして、争でか彼かの重位を期せんや。是れ則ち求むる所其の為す所に非ず。譬たとへば猶ほ網を捨てて魚の羅するを待ち、耕さずして穀の熟するを期するがごとし。之を得ること豈に難からずや。仮たとひ勉強して而して之を得るも、恐らくは是れ吾が有に非ず。所以ゆゑに秦政強しと雖も、漢の并する所と為り、隋煬盛んなりと雖も唐の滅ぼす所と為るなり。而るに諂諛てんゆの愚人以為おもへらく、吾が朝皇胤一統、彼の外国の徳を以って鼎かなへを遷うつし、勢に依よりて鹿を逐ふと同じからず。故に徳微なりと雖も、隣国窺覦きゆの危き無く、政乱ると雖も、異姓篡奪の恐れ無し。是れ其の宗廟社稷の助、余国に卓躒たくらくたればなり。然れば則ち纔わづかに先代の余風を受けて、大悪の国を失ふ無くば、則ち守文の良主、是に於て足りぬべし。何ぞ必ずしも徳の唐虞に逮およばず、化の栗陸に侔ひとしからざるを恨みんかなと。士女の無知なる、此の語を聞きて、皆以って然りと為す。愚惟おもふに深く以って謬れりと為す。何となれば則ち洪鐘は響を蓄ふるも、九乳未だ叩かずして、誰か之を音無しと謂はん。明鏡は影を含むも、万象未だ臨まずして、誰か之を照さずと謂はん。事迹は未だ顕はれずと雖も、物理は乃ち炳然たり。所以ゆゑに孟軻は帝辛を以って一夫と為し、武発の誅を待たず。薄徳を以って神器を保たんと欲するも、豈に其れ理の当たる所ならんや。之を以って之を思へば、累卵の頽嵓たいがんの下に臨むよりも危く、朽索の深淵の上に御するよりも甚だし。仮ひ吾が国をして異姓の窺覦無からしむるも、宝祚の脩短多く以って茲ここに由よる。加之しかのみならず中古以来兵革連綿、皇威遂に衰ふ。豈に悲しからずや。太子宜しく熟つらつら前代の興廃する所以を察観すべし。亀鑑遠からず、昭然として眼に在る者か。況んや又時は澆漓に及びて、人皆暴悪なり。知万物に周あまねく、才夷険を経るに非ざるよりは何を以ってか斯の悖乱の俗を御せん。而して庸人は太平の時に習ひ、今時の乱を知らず。時太平ならば則ち庸主と雖も得て治むべし。故に堯舜生れて上に在らば、十の桀紂有りと雖も、之を乱るを得ず。勢治まればなり。今の時は未だ大乱に及ばずと雖も、乱の勢萌すこと已すでに久し。一朝一夕の漸に非ず。聖主位に在らば、則ち無為に帰すべし。賢主国に当たらば、則ち乱無し。若し主賢聖に非ずば、則ち恐る乱唯ただ数年の後に起こらんことを。而して一旦乱に及ばば、則ち縦たとひ賢哲の英主と雖も、朞月にして治むべからず。必ず数年を待たん。何ぞ況んや庸主此の運に鍾あたらば、則ち国日に衰へ政日に乱れ、勢必ず土崩瓦解に至らん。愚人は時変に達せず、昔年の泰平を以って、今日の衰乱を計る、謬れるかな、謬れるかな。近代の主、猶ほ未だ此の際会に当たらず。恐らくは唯太子登極の日、此の衰乱の時運に当たらんか。内に哲明の叡聡有り、外に通方の神策有るに非ずば、則ち乱国に立つを得ず。是れ朕が強ひて学を勧むる所以なり。今時の庸人、未だ曽て此の機を知らず。宜しく神襟を廻らして此の弊風の代に尚くはふべし。詩書礼楽に非ざるよりは、得て治むべからず。是を以って寸陰を重んじ、夜を以って日に続ぎ、宜しく研精すべし。縦ひ学百家に渉わたり、口に六経を誦するも、儒教の奥旨を得べからず、何ぞ況んや末学庸受にして、治国の術を求むるは、蚊虻の千里を思ひ、鷦鷯の九天を望むよりも愚かなり。故に思ひて学び、学んで思ひ、経書に精通し、日に吾が躬を省みば、則ち似る所有らん。凡そ学の要たる、周物の智を備へ、未萌の先を知り、天命の終始に達し、時運の窮通を弁じ、若ここに古に稽へ、先代廃興の迹を斟酌し、変化窮り無き者なり。諸子百家の文を暗誦し、巧に詩賦を作り、能く論義を為すがごときに至りては、群僚皆掌つかさどる所有り。君王何ぞ強ひて自ら之を労せんや。故に寛平聖主遺誡に、天子雑文に入って日を消すべからずと云々。近世以来、愚儒の庸才、学ぶ所は則ち徒に仁義の名を守って、未だ儒教の本を知らず、労して功無し。馬史の所謂博くして要寡き者なり。又頃年一群の学徒有り、僅かに聖人の一言を聞いて、自ら胸臆の説を馳せ、仏老の詞を借り、濫みだりに中庸の義を取り、湛然虚寂の理を以って、儒の本と為し、曽て仁義忠孝の道を知らず。法度に協はず、礼儀を弁ぜず。無欲清浄は則ち取るべきに似たりと雖も、唯是れ荘老の道なり。豈に孔孟の教たらんや。是れ並に儒教の本を知らざるなり。之を取るべからず。縦ひ学に入ると雖も、猶ほ此のごときの失多し。深く自ら之を慎み、宜しく益友を以って切磋せしむべし。学すら猶ほ誤有らば、則ち道に通し。況んや余事をや。深く誡めて必ず之を防ぐべし。而して近曽ちかごろ染むる所は、則ち少人の習ふ所にして、唯俗事のみ、性相近く習は則ち遠し。縦ひ生知の徳を備ふと雖も、猶ほ陶染する所有るを恐る。何ぞ況んや上智に及ばざるをや。徳を立てて学を成すの道、曽て由る所無し。嗟呼あゝ悲しいかな。先皇の緒業此の時忽ち墜ちんと欲す。余性拙に智浅しと雖も、粗あらあら典籍を学び、徳義を成し王道を興さんと欲するは、只宗廟祀を絶たざらんが為ためのみ。宗廟祀を絶たざるは、宜しく太子の徳に在るべし。而して今徳を廃して修めずんば、則ち学ぶ所の道をして、一旦溝壑に填めて、亦用ふべからざらしむ。是れ胸を撃ちて哭泣し、天に呼んで大息する所なり。五刑の属三千、而して辜不孝より大なるは莫し。不孝の甚だしきは祀を絶つにごとかず。慎まざるべけんや。恐れざるべけんや。若し学功立ち徳義成らば、啻ただ帝業を当年に盛んにするのみに匪あらず。亦即ち美名を来葉に貽のこし、上は大孝を累祖に致し、下は厚徳を百姓に加へん。然らば則ち高くして危からず、満ちて而して溢れず。豈に楽しからずや。一日屈を受くるも、百年栄を保たば、尚ほ忍ぶべし。況んや墳典に心を遊ばしむれば、則ち塵累の纏牽無く、書中故人に遇あへば、只聖賢の締交有り。一窓を出でずして、而して千里を観み、寸陰を過ぎずして、万古を経。楽の尤も甚だしき此に過ぐる無し。道を楽しむと乱に遇ふと、憂喜の異る、日を同じくして而して語るべからず、豈に自ら択ばざらんや、宜しく審つまびらかに思ふべき而已のみ。
【現代語訳】
私(花園天皇)が聞くところによれば、天が庶民を生み、君子を立てて民を養うのは、人や物をうまく利用するためである。民は愚かであり、これを導くのに仁義をもってし、凡俗の無知を治めるのに政治を以てする。もしその才能がなければ、君子の位についてはならない。人民の一つの官職でさえも、これを失うと、やはり天下は乱れるという。すきを狙う鬼の災いは逃れることができないのだ。ましてや、君子の大切な仕事については、必ず慎み、恐れなければならない。
それなのに、皇太子は宮中の人たちの手によって成長し、いまだ庶民の苦難を知らず、常に華やかな衣服を着て、糸を紡ぎ布を織る大変さを思うことがない。いつまでも庶民の供した穀物のおいしい料理を腹いっぱい食し、いまだ種植えや刈り取りの苦労を知らず、国に対してかつて少しの功もなく、民に対してほんの少しの恵みもなかったではないか。
ただ先帝の残した威光というものをもって、何も考えず君子の政務の重責を遂げようとする。徳がないのに誤って王侯に託し、功もないのにもし庶民の中に赴くならば、これほど恥ずかしいことがあろうか。また、詩書礼楽という庶民をまとめる四術をどうやって習得するのか。皇太子自ら反省してほしい。もし(詩経にあるがごとく)温かみと誠実さの教えをを身につけ、諸事に通じる見識で世の意味を悟れば、それは善いことである。とはいえ、やはり足りないことがあることを恐れ、ましてやいまだ自らが道徳を身につけず、少しでもかの重い位を期待するのであれば、これは求めることと為すべきこととが違っていることになる。たとえば、まるで網を捨てて魚がかかるのを待ち、耕さないで穀物が熟すのを期待するかのようである。これらを得ることは決して難しくない。たとえ勉強してこれらを得たとしても、おそらくはそれは自らのものになっていない。
秦の政治が強かったといっても、漢と並ぶところとなり、隋や煬が盛んだったといっても、唐がそれを滅ぼすところとなった。しかし、へつらう愚人は次のように考える。我が朝廷は万世一系で、かの外国(中国)の、徳を以て政権交代し、武力を以て政権を争うのと同じではない。だから徳が少なくても、隣国がすきを窺う危険性はなく、政治が乱れるといっても、他民族に政権を奪われる恐れはない、これは我が国が守られているのであって、他国にまさっている点である、と。であれば、わずかにでも先代の威光を受けて、最悪の国にしなければ、伝統の法制を守った良い君子として充分であろう。必ずしも徳が堯舜に及ばず、教化すること栗陸氏に等しくないことを心配する必要はない、と。無知な庶民は、こうした言葉を聞いて、皆そのとおりだと思ってしまう。私はこれは深く間違っていると思うのである。
なぜならば、釣り鐘は響きを蓄えているが、それを叩かなければ、いったい誰がこれを音がないと言うだろう。澄んだ鏡はそこに影像を含んでいるが、すべて鏡の前に立たなければ、いったい誰がこの鏡は映らないと言うだろうか。結果はいまだ顕れずといえども、物の道理はすでに明らかである。よって孟子は紂王を逆賊とし、武王を責めることはなかった。少ない徳で神器を保持しようとして、どうして理の当たるところとなるだろうか。もしそのようにしようと思うなら、累卵が崩れる岩の下にあるよりも危険で、腐った縄が水底の上にあるよりもひどい。たとえ吾が国を他民族からの侵略から守ったとしても、皇位の交替が多くなるのは、そのためである。
これに加えて、昔から武力革命が続き、皇室の権威はついに衰えている。なんと悲しいことではないか。皇太子よ、かつての皇室の興廃する理由をよく観察するがよい。手本は近くにあり、明らかに目に見えるものである。ましてや、時は流れ、人が皆暴悪になるに及び、智慧が万物にあまねく広がり、才能が世の太平と波乱を経験する以外に、どうやってこの乱れた俗世間を治めることができるであろうか。そうして凡庸な人々は太平の時に慣れてしまい、かつてのその時の世の乱れを知らない。時代が太平ならば、すなわち庶民と君主といえども治めることができる。でから、堯舜が生まれて庶民の上にいるならば、十の桀紂がいたとしても、世は乱れるはずもない。勢いが治まっているからである。
現在、いまだ大きな乱に及ばないといっても、乱の勢いがきざしてからすでに久しい。一朝一夕といった少しの時の話ではない。聖主が位にあれば、すなわち平穏であろう。賢主が国政に当てれば、すなわち乱はないだろう。もし主君が賢聖でなければ、すなわち恐ろしいことに乱はたった数年の後に起こるだろう。そして、一旦乱が起きれば、すなわちたとえ賢哲のすぐれた君主といえども、数ヶ月で治めることはできない。必ず数年を待つ必要がある。ましてや凡庸な君主がこうしためぐり合わせのもとに立つならば、国は日に日に衰え、政治は日に日に乱れ、国勢は必ず土崩瓦解するに至る。愚人は時の変化に気づかず、かつての泰平をもって、今日の衰乱を判断する。なんとも誤った考えではないか。近い代の君主はいまだこのような運命には際会していないが、おそらくはまさに皇太子が即位する際、この衰乱の運命の時に当たるのではないか。内に賢明な聴く耳を持ち、外に各方面に通ずる優れた策があるのでなければ、乱国に立つことはできない。これが私が強く学問を勧める所以である。現在の凡庸なあなたはいまだかつてこのような時機というものを知らない。よくその思いをめぐらし、この悪い風習の時代の上に加えなさい。
詩書礼楽をもってせずしては世は治めることができない。これを手段として寸陰を大切にし、夜も昼に続いて、精しく研究するのがよろしい。たとえ学問が百家にわたり、六経を暗誦するとしても、儒教の奥義を得ることはできない。ましてや、大学・中庸を学ばずして、治国の術を求めるのは、蚊や虻が千里の遠きを思い、鷦鷯(みそさざい)が九天の広きを望むよりも愚かである。だからこそ考えて学び、学んで考え、経書に精通し、日々自己を省みれば、そのようなことに似ることはないだろう。学問の要たる万物の智を身につけ、まだ起きていないことを先に知り、天命の終始を理解し、時運の難易を区別し、もしくは過去と今を比較し、先代の興廃の道筋を斟酌するなど、変化すること際限がない者である。諸子百家の文を暗誦し、巧みに詩賦を作り、議論を為すことができ、多く官僚が皆それぞれを掌握する所があれば、君主がどうして自らこれらを労する必要があろうか。だから、宇多天皇の遺誡に「天子、雑文に入りて日を消すべからず云々」とあるが、近ごろ以来の愚かな儒学者は、それを学ぶというとただ仁義の名を守ってばかりで、いまだ儒教の本質を知らない。苦労は多いが功はない。司馬遷の言う「博くして要寡きもの」である。また、最近一群の学徒がおり、わずかに聖人の一言を聞いて、自らの臆測の説を用い、仏陀や老子の言葉を借りて、みだりに中庸の意味に取り、湛然虚寂(豊かに落ち着いているさま)の道理をもって儒教の本質となし、まったく仁義忠孝の道を知らず、法度に従わず礼儀をわきまえず、無欲清浄は取るべきものに似ているといえども、ただこれは老荘の道であり、孔孟の教えではない。これは同時に儒教の本質を知らないことであり、これを取るべきではない。
たとえ学問の道に入るといっても、なおこのような失敗が多い。深く自らこれを慎み、有益な友を得て切磋されるべきである。学問でさえ誤りがあれば、道に遠い。ましてやその他のことは言うまでもない。深く誡めて必ずこれを防ぎなさい。そして、近ごろあなたが親しくするところ、すなわちつまらぬ人の慣れ親しむことはただ俗事のみで、本性は相近くとも、習いはすなわち遠い。たとえ生来の徳を備えるといえども、なお感化されることがあることを恐れる。ましてや上智に及ばないことを恐れないでよかろうか。徳を立て学識を成す道は、かつてより由るところがない。ああ、悲しいかな。先皇の諸業績は、今時たちまち堕落してしまうだろう。
私は本性が拙く、智恵は浅いといえども、ほぼほぼ典籍を学び、徳義を成し、王道を興そうとしている。それはただ宗廟の祭祀を断絶させないためである。宗廟の祭祀を絶やさないかは、太子の徳にかかっている。だから、今あなたが徳を捨てて修めないならば、学ぶべき所を一旦溝に埋めて再び用いないようにしてしまうことである。これは私が胸を撃たれて号泣し、天に叫んで大きく嘆息するところである。五刑のたぐいは数多くあるが、罪として不孝よりも重大なものはない。その不孝の中でも、祭祀を断絶させることよりも甚だしいものはない。慎まねばならない。恐れねばならない。もし学問の功績が現れ、徳義を成就すれば、ただ帝の御業績を現世で盛んにするだけではなく、また美名を来世に残し、上は先祖に大孝を致し、下は庶民に厚徳を与えるだろう。そうすれば、高くしてしかも危うからず、満ちてしかも溢れない。なんと楽しいではないか。一日の屈辱を受けて、百年栄えを保つなら、忍従することができる。ましてや積み重なる古典に心を遊ばせれば、つまらない束縛もなく、本の中で故人に遭えば、ただ聖賢との交流がある。小さな部屋を出ずして千里を思い、あっという間に万古を旅する。楽しみに最も甚だしいものは、これに過ぎるものはない。道を楽しむと乱に遭遇するのと、憂い喜びの異なること、日を同じくして語ることはできない。あなた自身どちらを択ぶべきか、よく審らかに考えるべきである。(「不二草子」の訳です)
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(2019年(令和元年)8月19日、即位後初めての那須御用邸のでの夏季静養中のご一家の写真)
この訓戒の書を、今上天皇の徳仁さまは、ご自分が天皇として、国民に仕えるに当たって、「座右の書」として、深く学ばれたのです。重責を担う指導者としての優れた学ぶに叶う訓戒です。上に立つ指導者の任にある人たちにために、次のようににするように勧めています。
『そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。(新改訳聖書1テモテ2章1~3節)』
(“ウイキペディア“の今上天皇の御師印の「梓」、天皇ご一家です)
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