「科学者の弁」、益川敏英、山中伸弥のお二人の対談の載った「大発見の思考法(文芸春秋社刊)」を読みました。四十年代生まれの兄たちと同世代、それと六十年代生まれのお二人の科学者で、共にノーベル賞の受賞者が、京都大学のiPS細胞研究所で、2010年の夏に、科学者の立場から思うところを語り合われたのです。
この本の終章は、「神はいるのか」で、科学のエキスパートのお二人が、そのことに話を持って行っているのが、面白かったのです。
私は、父に動物園に連れて行かれた時に、飛んだり跳ねたり、忙(せわ)しなく右往左往する猿のオリの前で、『これが俺の祖先だ!』とは思えませんでした。父も母も兄弟たちも、もちろん自分も、猿には似ても似つかなかったからです。
転職先の職員室で、理科の生物の教師の隣に,私は座っていた同僚でした。何かの折に、「進化論」が話題になったのです。社会科も理科も、「進化論」の立場で、それぞれの教科が成り立っています。彼は進化論者、私は創造論者で、相反する立場の教師の穏やかな交流でした。
教科書全部は教えられず、歴史は、前時代の部分は飛ばしてしまい、人の歴史を教えていました。彼は、進化論を証明できませんでした。それは推論だからです。長い年月の間に、微生物が変異を重ねて、こんな人を憎んだり、愛したりできる自分ができたとは信じられませんでした。
ちょうどカナダライの中に、鉄やプラスチックやゴムを入れて、棒でかき回す内に、iPadは出来上がらないように、この自分も、そんな風に出来上がったとは思えないからです。でも進化論は、そんな風に言ってるわけです。下等生命が、偶然に積み重ねをしているうちに、アップルを創業した、画期的なiPadを世に送り出した、高等頭脳の持ち主のSteve Jobsを生み出したと言うのと同じです。
iPadは、Jobsの頭脳の内に考え出され,図面を引き,部品が作られ,組み立てられて,工場で製造されて,製品化されています。買い求めて使っている私は、iPad 以上だと自認しています。私が,電源を入れ、Wi-Fiに接続し,考えて、文字盤を指で操作するので,この文章ができあがっています。私の内には命が躍動し,血が流れ,息をし,内臓が働いています。この機械より,私の方が優れています。私が主人で,iPad は,私に服しているからです。逆転はあり得ません。
多くの科学者が、とくに生命に関わる医学に関わる化学者や医者の内に、50歳になる頃に,クリスチャンになっている、と益川さんが言っておられます。つまり神がいること、その神が愛であること、その神が万物の創造者であると信じ,礼拝してるかがくしゃがおおぜいいると言うのです。としますと科学と聖書の記事とは,矛盾していないということであるのでしょう。
かえって、長く信仰者として聖書を信じ,読んで説き明かしをして説教をしてきた,ある牧師さんたちが、聖書の創造の箇所、イエスさまがなさった奇跡が信じられずに、神話であると言っているのです。そんな不信者になってしまっているのは、どうしたことでしょうか。私は、尋常小学校出の母から生まれ,14歳で、神が父であり,イエスさまがキリストだと,単純に信じた母から生まれ、育てられました。二人の兄も弟も私も,そして父もが,その母の信仰を継承した信仰者でいます。
この対話をされたお二人も、『進化論は,いまだに証明されていないのです!』、と言っておいででした。けっこう曖昧な理論を信じている日本人が多いのです。アメリカの統計によると、50%のみなさんは、聖書の創造論を信じているのです。こんなに違うのに、日本の科学は隆盛なのが不思議でなりません。
『神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」(新改訳聖書 創世記1章26節)』
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