”You did good job!“、この長い人生で、そう言われたのは、たったの二度だけの私なのです。その一度は、田舎から転校してきた街の小学校で、担任の内山先生が、山の村の小学校の入学式にも出られず、そのまま一学期を終えて、東京に引っ越したのです。その転校先の分校での一年も、病気がちの不登校のまま、また、父の仕事の関係で、引っ越した三番目の小学校でのことでした。
授業を受ける姿勢を学ばないままの私を、『よくわかったわね。すごい!』、これって、”You did good job!“ですよね。国語の授業で、先生が汽車が、レールの上を走る擬音の出てくる箇所を、『ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタガタガタゴッンゴトンゴトンゴトン!』と、多分そう読んだのです。私は、その街の旧国鉄路線の中央線の線路の近くからのっ引っ込み線の作業場で、日本通運のトラックが貨車から貨物を、積み下ろしの作業をじっと眺めていたのです。
大人が一生懸命に働く姿をです。貨車がレールの上を走る音、ブレーキ音、貨物の積み下ろしの様子を、見たり聞いたりしながら、物珍しくてジッと観察していたのです。大人の仕事に興味があったからでしょうか。あのおじさんたちの仕事への忠実さは輝いていたのです。父も、同じような働きっぷりだったのです。4人のすごい子を育て上げた、まさに男の生き様でした。
その肉体労働に勤しむ姿は、自分の「労働観」を作ってくれたのだと思い返すのです。体を使っての作業は、頭脳労働と違って実際的です。ミスをすれば大事故を起こし、仕事仲間も自分も大怪我をするから、慎重なのです。その呼吸とタイミングが、どこの職場も抜群に合っていたのです。そんな経験から、アルバイトを探す時に、肉体労働を選んだのです。
2歳ちがいの弟が、高校生の頃から、よくアルバイトをしていて、その仕事場に出掛けて、『ここで弟がアルバイトをしていたのを聞いて!』と言って、同じ仕事を何度もしたのです。弟のするのを猿真似したわけです。鶏のケージの電気溶接から始まって、波止場での沖仲仕、穴掘り、道路脇の看板設置などでした。上の兄が、「やっちゃ場」と言う青物市場でアルバイトをしていて、学校に入った時に、同じ所でしたのです。どうも創造性がない自分だからかも知れません。
極めて難しい仕事をするのは人間に限ったことではありません。最近、Youtubeで、盲導犬の凄さを観ました。徹底して、目の不自由な人の安全に仕える姿は、「専門職」として圧巻でした。その目的のために厳しい訓練を受けて、主人に仕える相手に集中して、足となり目となっていくのです。「盲導犬ゆり」のことです。昨年、滋賀県の視覚障害をお持ちの方たちの施設を訪問された、雅子さまが、そこで出会った、もう3ヶ月の寿命のすでに引退していた「ゆり」のことです。
ご自分から、盲導犬と会いたいと願った雅子さまの所に、その「ゆり」が連れて来られたのです。その首に傷跡があったのを見られた雅子さまは、『この子に何があったのですか?』とお聞きになると、心無い男が、タバコの火を、ゆりの首筋に当てたのだと、答えたのです。心身に傷を負っている忠実な盲導犬でも、身を守るために危険なのを承知の雅子さまは、ゆりに手を伸ばされたのです。その危険を感じた専門職の職員の思いとは違って、雅子さまは、ゆりに慈愛の目を向けられて、手を差し伸べ続けます。
ゆりは、鼻先で、その雅子さまの手に触れたのです。警戒心がなかったゆりは、今度は自分の舌で雅子さまの手に触れます。酷い仕打ちを受けた過去がありながらも、ゆりは人を信じる行動をとったのです。そこにいた職員のみなさんは、雅子さまの動じない行動、ゆりの雅子さまへの揺れない信頼は、みなさんを驚かせたのです。安全上のリスクを恐れなかった雅子さまには驚かされます。
自分の身に起こった火傷、そんな激しい痛みを負う不測の事態でも、ゆりは耐えて、自分の使命、主人を守ることへの忠実さに徹したのです。そんな負傷があっても揺るがずに、盲導犬としての使命を優先したのです。後になって、ゆりの様子のおかしさを知った、主人は、獣医に連れて行って、その火傷の事実を知ったのです。
親しい交わりにある方の家に、このゆりと同じ、ゴールデン・レドリバーがいます。食事に呼ばれた時に、家内も友人も自分を、大歓迎してくれて、なめまくられたのです。人懐っこさはすごいのです。だから、この種の犬は、様々に訓練され人に仕えられるのですね。それにしても、ゆりには驚かされたのです。ゆりに近づいて、恐れずに、良い仕事をし終えた過去を感じ、恐れずに近づき受け入れた雅子さまにも驚かされます。きっと難しい人間関係で、自ら傷つき、多くを学ばれておいでだからでしょうか。
ある集いで、司会者をしたことがありました。牧師さんたちが、500人ほど集まっていたのです。教会の主を礼拝するために、賛美を導き、聖書を読み、祈ったでしょうか。30分ほど司会をして、講壇から降りましたら、“ You did good job !”と、カナダからの宣教師さんに言われたのです。これがたったの二度のうちの最後に、言われたほめことばでした。
良い仕事をするのは、その仕事を真に理解しているからなのでしょうか。ゆりのような「忠実さ」でしょうか、英語は、“ Faithful ” とい言って、誠実や真実、信仰につながる言葉なのだそうです。たった二度だけほめていただいて、それで私は生かされてきたのです。親にもほめられませんでしたが、生かしてくださった創造主に、『ちっとも良くないのに、よく生きたものだね!』と言われるでしょうか。私は、この“ You did good job !”のほめことばを、盲導犬ゆりに言って上げたい夕べなのです。
(“いらすとや”のイラストです)
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