「伯楽」と呼ばれるのは、駄馬のようにしか見えない馬の隠れている素質を見抜く人のことを言うのでしょうか。紀元前7世紀の中国の春秋の時代、今の山東省に、孫陽と言う人がいました。この人は馬の可能性を見抜くことができたので、「伯楽」と呼ばれたそうです。
中学と高校の同級生に、日本競馬協会の調教師の子たちがいて、みんな裕福な家庭の子でした。父は、賭け事をしませんでしたから、競馬場や競輪場などに出入りしませんでした。でも国家が公認のする公営競馬ですから、スポーツの一つと見なされていて、新聞やラジオやテレビの報道欄を賑やかしていました。
北海道や千葉や茨城には、競走馬の厩舎や訓練の試走場があようです。レースに優勝するような馬は、引退後には、次の世代の競走馬を誕生させる種馬や母馬になったりするのだそうです。レースで優勝するのは、その多くが優秀な成績を収めた馬の子でもあったのです。そういった次世代の競争馬を生み出すための目利きをする仕事や馬丁さんや調教師さんがいて、レースが展開されていました。
そんなことを聞かされて、戦時中には、父は馬を持っていて、街中と仕事場のあった山奥の工場の間の移動のために飼っていたのです。事務所のあった街には、陸軍の連隊があって、その連隊長の持ち馬よりも立派だったようで、譲り受けたいと言われながら、父は手離さなかったと言っていました。馬の世話をされていた方が、父に馬肉を届けたのだそうです。自分は食べた記憶はありませんが、家族で桜肉鍋をしたのでしょう。
ところが、その肉は、父の馬を屠殺したものであったのを、父は後で知ったのです。馬丁さんのお子さんが病んで、滋養のあるものを食べさせなくてはならなくなって、父に無許可で肉にしてしまったのです。自分も人の親、このお父さんの気持ちを察するのあまり、父は愛馬の死を受け入れて、責めたり怒ったりしなかったのだと、母に聞きました。これが人の良かった父、騙すより騙される人でした。
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馬の目利きや調教に長けている伯楽は、よくスポーツの世界で、名コーチ、名監督として名の馳せた方に、つけられるタイトルでもあります。例年の年初の二日三日、帰国以来の正月は、説教の責任もなくなったのを幸いに、箱根駅伝の虜になってしまっています。かつては、今日ほどの注目度のなかった時代でしたが、明大や早大や中大や日大、それに東京高等師範学校などが名門が優勝していたのです。私たちの時代に、大八木監督の率いる駒大、その後は順大、今では青学が優勝名門校として活躍しています。
日本的な「駅伝」は、ストックホルムで開催されたオリンピックに出場し、さまざまな悪条件化でマラソン競技の途中で行方不明になってしまった金栗四三氏が、日本のマラソン界の底上げに始めたと言われています。肥後国の出身で、日本の陸上競技に貢献した人です。
「青田買い」と言って、中学校や高校から、優秀なスポーツ選手に目をつけて、大学やプロの世界で活躍できるように勧誘し、集められた子どもたちに、将来を嘱望して、トレーニングをして気ています。賛否両論があって、楽しむスポーツではなく、ただ勝つための猛指導があり、それがエスカレートしているのを憂えるのですが。
そんな、プロ化した選手の多いスポーツ界ですが、確かに、名伯楽がいて、優秀な選手を育てているのも事実です、野球でもテニスでもスケートやスキーでも、プロ化してしまっているのですが。次女の息子が、小さい頃から野球をしてきて、名門の大学チームに推薦されそうになったのです。周囲の期待と違って、しのぎを削るような世界、お金で自分が測られる世界で野球を続けたくなかった彼は、それを断って、自分の育った街の小さな学校に進学していきました。
それでもいいのでしょう、男子でも女子でも、サッカーでも野球でも、世界で活躍している選手が、最近多くなって気ています。それとは違って、自分の好きなスポーツを楽しんでしている人たちの方が、はるかに多いのです。名選手、名走者、スポーツ以外の世界でも優秀な方たちが多くいますが、楽しませてくれるのが一番、負けチームや負け選手の「一生懸命さ」に、胸が打たれた、今春の大学駅伝でもありました。
(“ウイキペディア”の伯楽、金栗四三〈ゼッケン51〉です)
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