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どうも、2、3人の不埒な、不遜な尺度や経験などで、全体を判断してしまう傾向が、誰にも、どこの国の人にもあるのではないでしょうか。
日本人が、日本のメディアが、けっこう嫌いなのが、中国の人なのだそうです。私たちにとって、13年間、広大な中国の地方都市で生活して、出会ったChinaなみなさんは、善良で、親切で、朗らかでした。真夏の炎天下、ちっと涼しいく感じる木陰のコンクリートの上で、お腹を出して中年のおじさんが昼寝をしていました。同じ頃に、一匹の犬が、水たまりにお腹をつけて、水浴をしているような格好をしていました。別に真似したわけではなさそうでした。
また、珍しい物を持っていると、『それ、どこで買った?』と、こちらが手にしている物を触りながら聴く人懐っこしさがあるのです。『見せて!』ではなく、手が早くて、もう品物を手で触ってっているのです。文官おでしょうか、そう言ったのが普通なので、好奇心が旺盛なのでしょう。天然的でストレートで、好意的で人懐っこく、いい面があって驚かされました。
住居棟の同じ階段を使っている、14軒ほどのみなさんの中で、何人かの方は、田舎から帰って来ると、特産品を持って家に来て、『田舎のおいしい野菜が採れたので!』と言って下さったのです。サツマイモやビワなんかも頂いたことがあり、ある時は、おばあちゃんが、手作りしたと言って、お孫さんが豆腐を持ってきてくれました。
日本を1週間ほど旅行をした方が、どこでも日本人の親切さに触れて、すっかり日本贔屓になったと、親日な旅行記を記しておいでの方がいらっしゃいます。確かに、あ物を置き忘れたり、落としてしまった方が、諦めてしまっていると、交番や受付やフロントなどに、遺失物が届けられていて、驚かれた外国人の方が多くおいでと聞きます。
この街に住み始めて何年か経つのですが、隣り街のショッピングセンターに、家内と一緒に買い物に行った時のことです。クレジットカードなどの入った財布を無くしてしまったのです。『出てこないよなー!』と諦めていましたら、住所と名前を呼んでいる館内のアナウンスが聞こえてきたのです。どうも自分の名前だった様です。それで、総合受付に行きましたら、そっくりそのままで届けられていたではありませんか。どんなに感謝したか知れません。
よく、『人を見たら泥棒と思え!』と言われますが、その対極に、『渡る世間に鬼はなし!』とあります。日本の社会は、後者な様で、置き忘れや落とし物を何度かしてきた自分としては、その親切さに救われてきている今なのです。
この暮れになって隣国では、日本旅行禁止の政府主導のキャンペーンがあって、せっかく楽しみにしていた日本旅行を、予約した航空券をキャンセルしてしまわねばならない動きが起こっています。そんな中で、誰一人反論を掲げる人が十数億のみなさんの中に、「いない」というのが、驚きなのです。東武日光駅から足尾のバスの中で、席を譲ってくださった中国人家族は、どうされておいででしょうか。
尖閣諸島の領土問題で、反日キャンペーンが、中国全土に徹底された時、華南の街におりました。面白かったのは、トヨタ車のプレートの脇に、手書きで、『魚釣島是中国的!(尖閣諸島は中国の領土です!)』と書き添えてありました。国中で、日本車が傷付けられたり、ヒックリ返されたりしている事件があった最中のことでした。
中国人全員が、「右ならえ」でした。小学生の時、先生だか級長が、『ミギヘナライ!』の号令をかけると、問答無用で全員従いました。高学年になった自分は、ズルズルして従わないと、『こらー、広田!』と叱られたのです。みんなの和に従わないからだという理由ででした。殴られたこともありました。反逆児だったのです。反逆してもせいぜい殴られるくらいは、昭和の子の自分はヘッチャラだったからです。
そう21世紀の中国で、皆国民(かいこくみん)で、不満を表せないのが驚きなのです。右でも左でも、足並みを揃えないと、仲間外れにされるからです。昔日本でもあった様ですが。そん中、天津で中国語を教えてくださった先生や、日本語を教えた教え子たちが、『先生!不都合なことがあったら、私たち、先生を助けるからね!』と言ってくれたのです。
隣国は隣国の切羽詰まった、さまざまな不具合な現状があって、抜き差しならないのでしょうか。友人や同信のみなさんの多い私たちは、そんなに厳粛には考えていません。関心を外に逸らして、内を固めると言ったのが常套手段なのでしょうか。そんな先日、美味しい中国茶、どうも高級なものが、隣国の友人から届きました。嬉しいことであります。
(“いらすとや”の財布をなくした人、お茶です)
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